01の続き。
「メガテンのTRPGがあるんだけれど遊んでみないか」
S田によるその問いかけにより、メガテンTRPGを遊ぶべく人集めを開始しました(といっても僕達がメガテンTRPGを遊ぶのはこれから3年以上先になります)。
高専というオタクの巣窟では、こういった場合の人材に欠く事はありません。気の合う友達に休み時間に声を掛けていくと直ぐに2人、TRPGを知っているどころか遊んだ事がある人物が見付かりました。O津とS木です。2人とも別々の形でロードス戦記のコンパニオンルールを遊んだ事がありました。
S田と2人で相談していた時は、ルールブックを持っているのがS田だったので彼がマスタをする前提でした。しかしS田もTRPG自体を遊んだ事はなかったので、経験者であるO津にマスタをお願いしました。そしてマスタであるO津の要請によりメガテンではなくロードス島戦記のTRPGを遊ぶ事になりました。S田はあくまでメガテンを遊びたいと主張しましたが、O津に「それならおまえがマスタをしろ」と言われては引き下がるしかありません。僕は聞き齧っていた所為でTRPGの自由に対する巨大な妄想が広がって勝手に興奮していたので、メガテンであろうがロードスであろうが構いませんでした。
96年当時はロードス島戦記コンパニオンルールは重版未定になっていて、流通在庫を探すしかなく入手困難な状況でした(コンパニオンルールの1は89年発売)。しかし丁度95年にロードス島RPGベーシックルール、96年6月にはエキスパートルールが発売していました。所謂文庫版ロードスです。早速僕も文庫版ロードスのルールブックを購入し、ひたすら読みまくりました。ベーシックルールに掲載されている事項は殆ど暗記する程読みました。考えてみればこの頃からパワープレイヤの片鱗があったという事になります。
O津の友人で別の科(僕の在学していた高専はほぼ1科1クラスの構成だったので、つまり別のクラス)のH田もプレイヤとして参加する事になりました。面子をまとめましょう。
- 僕
- S田 メガテン好き、剣道部、筋トレマニア
- O津 TRPG経験者、ときメモおたく、マスタ担当
- S木 TRPG経験者、吹奏楽部、音ゲー好き
- H田 O津の友人、声優おたく(椎名へきるのコンサートツアーで全国どころかハワイまで行った)
これでマスタ1人、プレイヤ4人の体制になりました。それぞれが担当したクラスは
- 僕 ファイター
- S田 ウィザード
- S木 プリースト
- H田 シーフ
- O津 マスタ
でした。1レベルから始めて月1回で全10回程のキャンペーンを遊びました。ウィザードがファイアボールを打つ程度になっていたので、最終的に5レベルか6レベルにはなっていたかと思います。僕の部屋が会場だったのでテーブルも無いフローリングの部屋で床に車座に座って遊んでいました(マスタはベッドの上)。僕は兎に角楽しくて毎月セッションの日が楽しみだった事を覚えています。今思えば僕はマスタのO津の仲が良かったので、セッションではかなり優遇されていた気がします。一方S田はO津の折り合いが悪く冷遇されていました。当時は全員16歳ですから、そういった大人気無い事もあった訳です。
既にTRPGに熱中していた僕はロードス島キャンペーン終了後にも遊びたかったので、新しいキャンペーンを始める事を提案しました。そして、当時、小説、リプレイ、ラジオ、OVA、映画と多媒体展開をして勢いのあったクリスタニアRPGを遊ぶ事になります。既に97年になり僕達は高専2年生になっていました。
続く(かもしれない)
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