04の続き。
98年の春に僕は自宅にISDNを引きインターネット環境を導入しました。ISDN以前に2ヶ月程ダイヤルアップ+テレ放題(なつかしい)の時期もありましたが、テレ放題以外の時間にも使ってしまい毎月の電話代が2万円を超えて親に問い詰められて、しぶしぶ自分で家の電話代を払う羽目になり厳しかったので家族を説得してISDNにしたのです。
当時の僕の趣味は読書とTRPGでしたからインターネットで最初にしたのはTRPGに関する事を手当たり次第に調べる事でした。コンベンションの情報やウェブ上で様々なグループが公開している私的なリプレイ等、どれもゲーム的興奮に対する飢餓感を満たすべくあらゆる事柄についてウェブサーフィン(これも死語ですね)して取り込んでいきました。ウェブチャットで同好の見知らぬ相手と会話する事を覚え、大流行したメッセンジャーICQ、IRCによる高速でラグの少ないチャットも毎晩していました。一時期はウェブチャット、IRC、ICQと3つ同時に色々な相手と会話をしていた事もあります。ソードワールドウェブ(SWWW)やTRPG.NETに出入りし初めたのもこの頃です。TRPG好きが集まるオフ会に参加したり自分でオフ会を開いたりもしていました。
これは99年か2000年ですが僕が参加した宿泊ゲームオフのリプレイです。システムはクリスタニア。僕はプレイヤとして参加しています。しかし市川智彦さん、URLを変えずにサイトを維持してるのは凄いなあ。市川さんが主催して4回実施したクリスタニアオンリーコンでは2、3回マスタをした記憶があります。SNEリプレイ基準からすると僕のシナリオは戦闘が異常に厳しい上にマスタでは僕だけ完全オープンダイスだったので、最後の全卓合同だったりマスタ入れ替えをしたりする時に、プレイヤから悲鳴や嘆息が上がったのを覚えています。容赦なくキャラクタを昏倒させて女性のプレイヤに涙ぐまれた事もありました(そんな事で泣くなよ子供じゃあるまいしと考えていましたけど)。
JGC98には宿泊で参加しました。夜っぴてセッションをする事に遠足前日の小学生の様に興奮した事を良く覚えています。概ねこの時期は毎週水曜日は同好会のセッション、土日はどちらかコンベンションやサークル定例会へ出掛ける。それ以外はバイトという生活でした。せっせとバイトをしていたのでルールブックを買うお金やコンベンションの参加費・移動費に困った事は殆どありません。
この頃にTRPGの元祖であるDungeons & Dragonsの存在を知りました。所謂、文庫版と呼ばれるメディアワークスから出ていた日本語版D&Dは既に絶版状態でしたが、古本屋でプレイヤ用のルールブックを手に入れる事ができました。そして98年の秋にDungeons & Dragons Festival 98(DDF98)に参加しました。DDFで出会った何人かの方にはその後かなりお世話になりました。代表のK藤さんには更に人を紹介して頂いたり、絶版のルールブックを譲って頂いたりしています。またDDF98でドラゴンランスのDMをしていたT井さんにはその後別のコンベンションで会い、そこで初めてAD&D2ndを遊びました。ドラゴンランスを遊びに行ったのに当時T井さんがレイベンロフトに嵌っていて、急遽セッションがレイベンロフトになったのには驚きましたけれど。T井さんには他にもメタルフィギュアを譲って頂いたり、塗装についても一通り指南して貰いました。僕が現在もミニチュア塗装をしたり、それらを使ってD&Dを遊んでいるのはT井さんのお陰でもあります。DDF98の打ち上げにも参加したのですが、実はそこでLISTさんに会ってゲームの事で口論をしています。その2年程後にはLISTさんと一緒にD&Dのキャンペーンをする事になります。
この頃から僕は(A)D&Dに傾倒していきます。
続く(かもしれない)
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