- 書名
- City of Hawks
- 著者
- Gary Gygax
- 出版
- ACE Fantasy
- 価格
- U.S. $3.95
- ISBN
- 0-441-10636-6
本日読了。古本で入手しました。ガイギャックスによるグレイホークを舞台とした小説です。Gord the Rogueという一連のシリーズの五作目です。
死せる詩人のWeblogです。読書記録とDungeons and Dragons Role Playing Gameのセッション記録が主です。リンクは御自由にどうぞ。
04の続き。
98年の春に僕は自宅にISDNを引きインターネット環境を導入しました。ISDN以前に2ヶ月程ダイヤルアップ+テレ放題(なつかしい)の時期もありましたが、テレ放題以外の時間にも使ってしまい毎月の電話代が2万円を超えて親に問い詰められて、しぶしぶ自分で家の電話代を払う羽目になり厳しかったので家族を説得してISDNにしたのです。
当時の僕の趣味は読書とTRPGでしたからインターネットで最初にしたのはTRPGに関する事を手当たり次第に調べる事でした。コンベンションの情報やウェブ上で様々なグループが公開している私的なリプレイ等、どれもゲーム的興奮に対する飢餓感を満たすべくあらゆる事柄についてウェブサーフィン(これも死語ですね)して取り込んでいきました。ウェブチャットで同好の見知らぬ相手と会話する事を覚え、大流行したメッセンジャーICQ、IRCによる高速でラグの少ないチャットも毎晩していました。一時期はウェブチャット、IRC、ICQと3つ同時に色々な相手と会話をしていた事もあります。ソードワールドウェブ(SWWW)やTRPG.NETに出入りし初めたのもこの頃です。TRPG好きが集まるオフ会に参加したり自分でオフ会を開いたりもしていました。
これは99年か2000年ですが僕が参加した宿泊ゲームオフのリプレイです。システムはクリスタニア。僕はプレイヤとして参加しています。しかし市川智彦さん、URLを変えずにサイトを維持してるのは凄いなあ。市川さんが主催して4回実施したクリスタニアオンリーコンでは2、3回マスタをした記憶があります。SNEリプレイ基準からすると僕のシナリオは戦闘が異常に厳しい上にマスタでは僕だけ完全オープンダイスだったので、最後の全卓合同だったりマスタ入れ替えをしたりする時に、プレイヤから悲鳴や嘆息が上がったのを覚えています。容赦なくキャラクタを昏倒させて女性のプレイヤに涙ぐまれた事もありました(そんな事で泣くなよ子供じゃあるまいしと考えていましたけど)。
JGC98には宿泊で参加しました。夜っぴてセッションをする事に遠足前日の小学生の様に興奮した事を良く覚えています。概ねこの時期は毎週水曜日は同好会のセッション、土日はどちらかコンベンションやサークル定例会へ出掛ける。それ以外はバイトという生活でした。せっせとバイトをしていたのでルールブックを買うお金やコンベンションの参加費・移動費に困った事は殆どありません。
この頃にTRPGの元祖であるDungeons & Dragonsの存在を知りました。所謂、文庫版と呼ばれるメディアワークスから出ていた日本語版D&Dは既に絶版状態でしたが、古本屋でプレイヤ用のルールブックを手に入れる事ができました。そして98年の秋にDungeons & Dragons Festival 98(DDF98)に参加しました。DDFで出会った何人かの方にはその後かなりお世話になりました。代表のK藤さんには更に人を紹介して頂いたり、絶版のルールブックを譲って頂いたりしています。またDDF98でドラゴンランスのDMをしていたT井さんにはその後別のコンベンションで会い、そこで初めてAD&D2ndを遊びました。ドラゴンランスを遊びに行ったのに当時T井さんがレイベンロフトに嵌っていて、急遽セッションがレイベンロフトになったのには驚きましたけれど。T井さんには他にもメタルフィギュアを譲って頂いたり、塗装についても一通り指南して貰いました。僕が現在もミニチュア塗装をしたり、それらを使ってD&Dを遊んでいるのはT井さんのお陰でもあります。DDF98の打ち上げにも参加したのですが、実はそこでLISTさんに会ってゲームの事で口論をしています。その2年程後にはLISTさんと一緒にD&Dのキャンペーンをする事になります。
この頃から僕は(A)D&Dに傾倒していきます。
続く(かもしれない)
03の続き。
話しは逸れますが僕が在学していた高専は1学年4学科でした。電気系が2学科、機械系が2学科です。1学年は200人程度。僕が所属していたのは電気系の学科で内容としては弱電と情報科学です(電子情報工学科という名だった)。弱電というのは電気工学周辺で使われる言葉で対義語は強電です。電子回路の様な電圧の比較的低い対象を扱うのが弱電で、家庭用電源以上の領域を扱うのが強電です。例えば発電所なんかは強電の最たるものです。電子情報工学科に来た連中はだいたいコンピュータについて学びたいと考えていた筈です。実際3年生になった頃にはクラス内のパソコン所持率は9割を超えていて、自宅にインターネット環境があるのも6、7割はいました。ご多分に漏れず僕も2年の夏に友人に手伝って貰いながら自作PCを購入しました。そして3年の春にはISDNを引いてインターネットに接続する様になっています。
それぞれの科の学生には緩やかですが傾向がありましたが、電子情報工学科は中でも突出してオタクが多い科でした。40人余りのクラスで女子は3人でしたし、プレイヤを見付けるには絶好の環境でした。
閑話休題。
3年生になる前後には、僕はちょこちょことコンベンションに参加する様になっていました。初めて参加したコンベンションはJGC97の当日参加だったと思います。そこから小規模な物にも参加する様になっていました。外部の人とゲームをする事で基本的なシナリオの様式を知りつつありました。この事が自信となりクリスタニアに続くキャンペーンは僕がマスタをする事になります。システムは国内では最大勢力だったソードワールドRPGです。
同好会を作って初めての新入生の入学を迎えるのですが、僕は同好会に入る新入生は多くても2人位だろうと考えていました。勧誘もチラシを校内に貼るだけでした。チラシには新入生に体験してもらう為のセッション予告を書いておいたのですが、その当日になってみると驚くべき事に女子3人を含む13人の新入生が集合していたのです。
これは驚きましたし、少し困りました。2、3人の想定だったのでセッションは1卓分しか用意していませんし、その少人数の入部希望者にそれぞれ既存の部員が1対1で付いてルールを教えるつもりだったからです。
この大量の見学者の理由はS木にありました。人当たりが良くて「ナイスガイ」という言葉を絵に書いた様な好男子である彼が吹奏楽部の激しい勧誘(休み時間に1年生の教室に突撃して直接声をかけて回る)と同時にTRPG同好会も勧誘も行なっていたのです。
この原因であるS木にその場で適当にシナリオをでっち上げてくれと頼んで急遽2卓体制にして対応しましたが、かなりばたばたしていました。6、7人がその後の週1で放課後に活動していた場にも来てくれましたが、半年程で3人まで減ります。残った1年生は
そしてここから15年、現在も一緒にゲームをする友人である。
です。Y太も彼が高専卒業後に愛知県の大学に進学するまでは一緒に遊び続けました。彼は今九州で仕事をしている筈……。この昔話内の「現在」は1998年です。この時の面子は
となっています。
02の続き。
高専2年生になった僕達はクリスタニアRPGのキャンペーンを始めました。マスタはO津に代わりS木。ここから1年程で僕のゲーム環境が大きく変化する事もあって、正直この頃の記憶が一番曖昧です。例えば自分のPCの事すら殆ど記憶にありません(確かサイクスという名前のイーグルマスターのシャーマンだった筈)。
このキャンペーンも10回程度続いたのですが、その途中でO津が諸事情あってセッションから離れていきました。キャンペーンの後半でその不足を補うべく、友人へ勧誘を行ないN本が参加するようになっています。
無事キャンペーンも終わった頃には年が変わり3年生になる寸前でした。マスタをしてくれたS木は吹奏楽部での役割も増えてきた様で、これ以後は時間のある時にセッションに参加するという感じになりました。またH田も声優オタが昂じ過ぎて椎名へきるのコンサートツアーが始まると週末は殆ど東京にいない——それどころか時には学校を休んでまで行ったりしていたので、やはりセッションからは縁遠くなりました。
つまりこの時点での面子は
という状況でした。とてもゲームをするには人数が足りないので、人を集める必要がありました。また僕の自宅でのセッションも(僕以外の参加者にとっては)学生の身分では交通費が痛手であったりしたので、会場についても考えなければいけませんでした。
2年生になった時に僕は文化祭実行委員に所属する様になっていました。文化祭の時は実行委員と学生会が二人三脚で事を進める事もあって、部活に所属していない僕にとっては実行委員と学生会が唯一のクラスの外に対する縦横の繋りを提供してくれる場でした。そこで僕は面子を集めました。結果として
の2人を集める事ができました。
更に会場の問題を解決すべく、TRPG同好会を学内に設立しました。学校のルールとして
となっていました。同好会として活動するのであれば教室等を利用可能になります。
僕等は比較的優等生的で問題になるような事は一切しない面子ばかりだったので担任の先生に顧問をお願いして、直ぐに同好会を作る事ができました。学生会と仲が良かったので手続きもあっという間でした。部長はいいだしっぺの僕です。
そして僕達は3年生になり、新入生が入ってきます。
続く(かもしれない)
01の続き。
「メガテンのTRPGがあるんだけれど遊んでみないか」
S田によるその問いかけにより、メガテンTRPGを遊ぶべく人集めを開始しました(といっても僕達がメガテンTRPGを遊ぶのはこれから3年以上先になります)。
高専というオタクの巣窟では、こういった場合の人材に欠く事はありません。気の合う友達に休み時間に声を掛けていくと直ぐに2人、TRPGを知っているどころか遊んだ事がある人物が見付かりました。O津とS木です。2人とも別々の形でロードス戦記のコンパニオンルールを遊んだ事がありました。
S田と2人で相談していた時は、ルールブックを持っているのがS田だったので彼がマスタをする前提でした。しかしS田もTRPG自体を遊んだ事はなかったので、経験者であるO津にマスタをお願いしました。そしてマスタであるO津の要請によりメガテンではなくロードス島戦記のTRPGを遊ぶ事になりました。S田はあくまでメガテンを遊びたいと主張しましたが、O津に「それならおまえがマスタをしろ」と言われては引き下がるしかありません。僕は聞き齧っていた所為でTRPGの自由に対する巨大な妄想が広がって勝手に興奮していたので、メガテンであろうがロードスであろうが構いませんでした。
96年当時はロードス島戦記コンパニオンルールは重版未定になっていて、流通在庫を探すしかなく入手困難な状況でした(コンパニオンルールの1は89年発売)。しかし丁度95年にロードス島RPGベーシックルール、96年6月にはエキスパートルールが発売していました。所謂文庫版ロードスです。早速僕も文庫版ロードスのルールブックを購入し、ひたすら読みまくりました。ベーシックルールに掲載されている事項は殆ど暗記する程読みました。考えてみればこの頃からパワープレイヤの片鱗があったという事になります。
O津の友人で別の科(僕の在学していた高専はほぼ1科1クラスの構成だったので、つまり別のクラス)のH田もプレイヤとして参加する事になりました。面子をまとめましょう。
これでマスタ1人、プレイヤ4人の体制になりました。それぞれが担当したクラスは
でした。1レベルから始めて月1回で全10回程のキャンペーンを遊びました。ウィザードがファイアボールを打つ程度になっていたので、最終的に5レベルか6レベルにはなっていたかと思います。僕の部屋が会場だったのでテーブルも無いフローリングの部屋で床に車座に座って遊んでいました(マスタはベッドの上)。僕は兎に角楽しくて毎月セッションの日が楽しみだった事を覚えています。今思えば僕はマスタのO津の仲が良かったので、セッションではかなり優遇されていた気がします。一方S田はO津の折り合いが悪く冷遇されていました。当時は全員16歳ですから、そういった大人気無い事もあった訳です。
既にTRPGに熱中していた僕はロードス島キャンペーン終了後にも遊びたかったので、新しいキャンペーンを始める事を提案しました。そして、当時、小説、リプレイ、ラジオ、OVA、映画と多媒体展開をして勢いのあったクリスタニアRPGを遊ぶ事になります。既に97年になり僕達は高専2年生になっていました。
続く(かもしれない)
だんだん自分がTRPGを始めた当初の事を忘れつつあるので、備忘録として書いておきまよう。
TRPGという物の存在を知った時期は恐らく1994年か1995年、つまり中学校2、3年生の頃の筈。具体的には水野良のクリスタニアシリーズの小説のあとがきで目にしたのが最初だったと思います。当時はスレイヤーズとかオーフェンとかラノベブームの先駆者が流行しっていた頃で、レーベルでいうと富士見ファンタジア文庫と93年に創刊したばかりの電撃文庫が勢いがあったし、書店でもラノベ棚はこの2つが多くの幅を占めていて、富士見ファンタジア文庫と同じ位(89年)に創刊された角川スニーカー文庫は、やや勢力的には弱かった。その所為か水野良の代表作であるロードス島戦記(角川スニーカー文庫)よりも先にクリスタニアシリーズ(電撃文庫)を先に手に取ったのです。といっても直ぐにロードス島戦記も読む事になります。
この頃はゲーム雑誌はファミ通を購入していただけで、他は特に立ち読みもしていなかったので、ログインとか富士見のドラゴンマガジンなんかは存在すら知らずに過ごしています。コンピュータゲームは1989年あたりから、ファミコン、ゲームボーイ、スーファミという風に購入して、ドラクエ、ファイナルファンタジーといったメジャータイトルのRPGは大抵遊んでいました。
僕が読書をする様になったのは1991年頃でこの頃にはゲームブックの流行は沈静化していたので、あまり書店で見た記憶はなく1度だけドラクエのゲームブックを友達から借りて遊んだ事があるだけです。それも既にコンピュータゲームを遊んでいたので、これといって興奮したりはまったりする事も無く終わりました。
僕が高専に入学した1996年は、家庭用ゲーム機の分野ではセガのサターンとソニーの初代プレステが両雄争っている状況で、どちらも面白いタイトルが沢山出ていました。高専というのは諸々のオタクの巣窟の様な所なので、皆コンピュータゲームは好きでした。同級生と話す専らの話題はゲームの事です。そもそも女子は全体の5%程度なので恋愛なんてのは殆どありません。
そういう状況なので96年8月に第1回が開催された東京ゲームショウはゲーム好きの同級生の間で大きな話題になりました。何人も参加していた筈です。僕も単独で参加したのですが、その帰りの電車で方向が同じ(2つ先の駅に住んでいる)同じクラスのS田に会いました。彼も一人でゲームショウに行っていてその帰りでした。当然ゲームショウで見た物の話で盛り上がるのですが、僕等2人に共通している興味の対象にメガテンがありました。僕は真・女神転生2を遊んで以来あの世界観にのめり込んでいましたし、S田はもっと以前から遊んでいる様でした。
メガテンの話で盛り上がる中、S田から後に僕のゲーム人生を決定付ける問いが発っせられるのです。
「なあ、おまえTRPGって知ってる?」
前述の通り水野良の小説でTRPGの存在を知っていた僕は
「ああ聞いた事あるよ。ロードスとかクリスタニアの小説のあとがきで概要を見たたけだけど」
と応えました。
「メガテンのTRPGがあるんだけれど遊んでみないか」
「いいね。やろうか」
という事で、TRPGを遊ぶ為には2人では不足なので他の面子を集める事になったのです。
続く(かもしれない)
Brooks のサドルで以前から試してみたい物が二種類ありました。一つはサド ル中央部分に穴が空いた Imperial 系の物。もう一つはサドル後端にバネが付 いた物です。これまでは両方の条件を同時に満たすサドルは存在しなかったの で、B67 を購入して自分で穴を開けてみようかと考えていたのですが、今年の 春に Flyer Imperial が登場しました。
色が黒しかないのがやや残念ですが早速購入してみました。装着先は Brompton です。
しかし僕の Brompton はどんどん重くなっていきます。走行中は車重は殆ど 気にならないので良いのですが、流石に輪行の時に持ち上げると重みが辛い。
実際に乗ってみた印象やそれまで着けていた Brooks Professional との比較 はまたいずれ。
アイスウィンドデイルを舞台にしたキャンペーンです。DMはつかださん。参加者は以下の通り。全員途中で3レベルになりました。。
12時に開始して18時終了。戦闘遭遇は5回。最後の戦闘遭遇はなかなか厳しかったですね。これで4レベルになったみたいです。次回が最終回となります。。
過去のルールについて色々調べ物をしていて、面白かったのでまとめてみます。 (A)D&Dの戦闘の流れの歴史的な遷移です。調査対象は
●AD&D 1e
1メレーラウンド = 10セグメント = 1分
これだけ読むと、グリッドを利用しない抽象戦闘が前提の様に読めるのが不思 議ですね。それから毎メレーラウンドに交渉の機会があるっぽいのも変な感じ です。
●AD&D 2e
1ラウンド = 1分
1eに比べると極めて簡素です。パーティ単位のイニシアチブが基本で、個別イ ニシアチブは選択ルールになっています。しかしパーティ単位イニシアチブの 場合、パーティ内の行動順序をどう決めるのかが不明。1eとの比較で特徴的な のは、イニシアチブよりも先に行動宣言をするという点でしょうか。
●D&D 3e
1ラウンド = 6秒
だいたい2eで個別イニシアチブを選択した場合の順序と似ていますね。
●D&D 4e
1ラウンド = 6秒
大枠は3eと同じです。
●Classic D&D
1ラウンド = 10秒
1eに似ています。特徴的なのはモラルの処理が明示されている事かな。
●備忘録
気が向いたら2eのC&Tのルールも調べる。
追記
●AD&D 2e Combat & Tactics
1コンバットラウンド = 12秒
※ベリーファスト、ファスト、アベレージ、スロー、ベリースローというのは 2e基本ルールにあるスピードファクタやキャスティングタイムの様な物でそれ ぞれの武器や呪文に固有の値があり、それによって決定します。
※イニシアチブは1d10で低い方が得ますが、この時出目1で勝利した場合、行動 解決の順序の入れ子が1段階ずれます。つまり取得側のベリーファスト、ファス トを解決した後に喪失側のベリーファストが行なわれます。逆に出目10で負け た場合、逆方向にずれます。そしてこの2つが同時に発生した場合、取得側のベ リーファスト、ファスト、アベレージを解決した後に喪失側のベリーファスト が解決されます。
表題のキャンペーンです。DMは羽生さん。レベルは全員14です。参加者は以下の通り。
12時開始で19時終了。3戦闘と2技能チャレンジでした。戦った相手の8割は格上だったので中々大変でした。今回の遭遇分でレベルアップしたので次回から全員15レベルです。
本日読了。