2004年6月15日火曜日

虚構の構造

 インターネットの世界は虚構だと言う人が居る。
 ネットゲームの世界は虚構だと言う人が居る。
 小説の物語は虚構だと言う人が居る。
 夢の内容は虚構だと言う人が居る。

 こういう主張が僕には理解できない。ウェブサイトはデータとしてサーバ上に存在する。ネットゲームのキャラクタはデータとして存在する。小説の物語は文章として紙面上に存在する。夢の内容は記憶として存在する。

 インターネットの世界は/ネットゲームの世界は/小説の物語は/夢の内容は、現実で無いと言う人が居る。

 寝惚けてるんじゃないか、と言いたい。

 触れる事の出来ない物が、虚構なんだろうか。
 ならば、断崖絶壁の向こうにある林檎は虚構なのか。

 見る事の出来ない物が、虚構なんだろうか。
 ならば、空気は虚構なのか。

 理解の出来ない物が、虚構なんだろうか。
 ならば、相対性理論は虚構なのか。

 虚構というのは、無知な人間が見ている現実を映した写真の名前の事じゃないのか。

 コンピュータ上のデータは、0と1の羅列で構成されているという。その0と1は、どうやって生み出されているのかを知らない。その0と1が、どうやって自然言語に変換されているのかを知らない。だから、コンピュータが虚ろに見えるのだ。
 0と1は電圧の有無によって表現されている。電圧が発生する原理は? 電気の実体は?

 虚構の構造。それは無知故の構造。構造を理解出来ないという構造。

 己の無知を自覚せよ、とソクラテスは言う。

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