2014年2月14日金曜日

上級者になりたいか

※注意、上級者になる為の方法論の様な何かを予期してこのページを訪れた人。残念! 14へ行け。

TRPGゲーマ(Tabletalk Role Playing Game Gamerなので語が重複し馬から落馬式になっているけれど、TRPGerという表記だと分かり難いので敢えて頭痛で頭が痛い記法で書きました)の間では——と語り始めるには、僕はTRPG一般について知ら無過ぎる(ここ10年でD&D以外のゲームを遊んだ割合は1%未満)のでD&Dゲーマ(以後単にゲーマと略記する)の間では——と書き始める事にします。

さて括弧が多すぎて文脈を見失いつつあるのではないかと思いますので、仕切り直しましょう。

ゲーマの間では、ゲームの進行上で問題が発生した場合の対処等について論じる時に「上級者ならばこうすべきだ」とか「斯様にするのが上級者である」とか言った風に「上級者かくあるべし」という話がしばしば俎上に載せられます。ツイッタでも時々見かけますね。

僕自身、10年前ならばこういう話に首を突っ込んだかもしれませんが、今では遠目に見るだけになりました。しかし今日は敢えてこの上級者に関する話をします。

大切な事なのでもう一度書きますが、僕はTRPG一般について語るつもりはありません。対象はD&Dのみです。この上級者論についてTRPG一般とD&Dの間で大きな乖離が無いだろうと推量していますが、その推量を裏付ける根拠を提示出来ないのであくまでD&Dに限ります。

ゲーマ間での上級者論を見ていてまず第一に気になるのは、D&Dに於ける「上級者」という用語の意味の曖昧さです。そういった話を見てみても、この用語が陽に定義されている事は無いですし、行間を読んで一意な意味を読み取る事も殆ど不可能です。一つには議論している人の間で、その意味が少しずつ異なっているのが原因でしょう。もう一つはD&Dというゲームの性質上、上級者の定義について大勢の合意を得るのが難しい事があります(そしてそれ故に各人が使う上級者という言葉の意味が異なってしまうのです)。

例えば、ある時僕がゼラチナスキューブのマスクを被った強盗に襲われ、包丁を突きつけられて「今この場でお前の考える上級者の定義を話さなければエンガルフする」と脅された場合。以下の様に回答するでしょう。
上級者とはよりルールに詳しくより強いキャラクタを作成できるゲーマの事である、と。(その結果僕は不条理にも強盗にエンガルフされるのです)

しかしこの定義を受け入れてくれる人は一部のルールロウヤとパワープレイヤだけでしょう。多くの上級者論で取沙汰される以下の様な性質が定義に組み込まれていないからです。

・曰く、上級者とはゲームの場において礼儀正しく振舞うものである
・曰く、上級者とは初心のゲーマを正しく指導するものである(指導する、という言葉が嫌いなのであれば「導く」という如何にもそれっぽい曖昧模糊とした用語を使うと良いでしょう)
・曰く、上級者とは自分だけでなく一緒に遊ぶ他の人々も楽しませるものである

この他にもまだ思い付く人がいるかもしれません。つまりはそういう事です。この時点で既に多くの人の間で、上級者という語に対する定義の合意が成立していないのです。僕はD&Dでの「上級者」という語を定義する必要性を全く感じていませんが、どうしても定義する必要があれば、やはり強盗に強要された場合と全く同じ回答をするでしょう。前述の定義は僕にとって決して冗談や諧謔ではありません。

セッションでの礼儀正しい振舞いとは何でしょう。静かにDMの話を聞き、求められた時だけ必要十分な事を語り、マウンテンデューではなくティーポットから淹れた紅茶を飲み、ピザではなくスコーンを慎ましく食べる事でしょうか。分かりません。
正しい指導とは何でしょうか。他人に活躍の機会を与えずどんな強力な敵でも一瞬で殺害できる強大なキャラクタを作成する真のミニマックス則を骨の髄まで叩き込むことでしょうか(これなら僕にも出来そう)。分かりません。
ゲームプレイで他人を楽しまるというのはどういう事でしょうか。僕の様に右に出る者のいない(右には壁がある席に座っているので)ハイセンスなジョークを6秒に1回の調子で連発し皆の失笑を買う事でしょうか。分かりません。

全く分かりません。この様な不明瞭な仕方で上級者を燻り出す意味が分かりません。誤解の余地の無い明瞭な方法であれ、D&Dゲーマが同調圧力に弱いという性質を利用した曖昧な定義であれ、わざわざゲーマの集合から上級者ゲーマという部分集合を抽出して、何をしたいのでしょう。或いは何をさせたいのでしょうか。

一般に参加者を能力によって分類するのは、実際的な意味があるから行なわれます。例えばバドミントンやロードレースといった競技であれば、大会やレースに於いて同程度の実力の者同士が争う様になる為に能力による分類が行われています。そしてそれは、開催側にも参加者側にも利益のある事です。

実質的な価値のある分類を行なう場合、上級者の定義に精神論(礼儀正しくなければならないとか下位の者を導かなければならぬとか)の入り込む余地はありません。定量的に測定可能な事実を基に弁別されます。例えばバドミントンの大会で「あなたは1部(最上級の分類)の試合に出るには品位が欠けているので出場できません」と言われる事はありませんし、プロのロードレーサがツール・ド・フランスに出場する際に「チームの下位の選手に適切な指導をしているか否か」が問われる事も決してありません。当たり前の事です。

定義の曖昧さや形成されている合意が及ぶ範囲の大小は問わず、仮にゲーマの中での上級者というのを抽出したとしましょう。果たしてこの抽出された上級者にとってどのような利益があるのでしょうか。僕自身、他のゲーマから上級者であると言われる事があります。ここに書いた通り僕はD&Dに於ける上級者という評価に実際的な価値を感じていないので、こんな事を言われても褒められているのか貶されているのか判断できませんし、事実その事によって何の利益も得ていません。寧ろ

・上級者なのだからこの初心者が集まる卓には参加すべきではない(当然その卓が内容が他よりも面白そうだから参加を希望している)
・上級者なのだから初級者の横に座っていろいろ教えてあげてくれ(何でそんな面倒な事をしなきゃいけないのか)
・上級者なのだからDMをしてくれ(普段DMばかりしているのでプレイヤをしたいのだ)
・上級者なのだからここは譲ってくれ(因果関係が不明)

といった不利益を被ることの方が圧倒的に多いと言えます。これが逆に

・上級者なので番茶ではなく玉露を、コンビニの羊羹ではなくトラヤの栗羊羹を出す
・上級者なのでパイプ椅子ではなくアーロンチェアを利用できる
・上級者なので足のきれいな美女のサブDMが付く

といった利点があれば、僕もゲームに於ける上級者を分類する事を強力に推進する事でしょう。そしてその時の上級者の定義に必ず自分が入るような定義(例えば、上級者とは死せる詩人により近い性質を持つ者の事である等)が成立する様にあらゆる手を尽くすでしょう。

この様に現在蔓延っている上級者論というのは、意味が無いだけでなく害があるとすら言えます。従って今のところは、自分の周囲で上級者論が噴出したら取る物も取り敢えず裸足で逃げるに如くはないのです。もしD&Dに上級者という存在を出現させたいのであれば、

・上級者を誤解の余地の無い定量的な仕方で定義する
・上級者を目指す誘因を与える

この2点が必須でしょう。前者が無ければそもそも分類不可能、後者が無ければ分類しても成りたがる人は殆どいないでしょうから。

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2 件のコメント:

  1. DJと申します。

    >上級者とはよりルールに詳しくより強いキャラクタを作成できるゲーマの事である、と。(その結果僕は不条理にも強盗にエンガルフされるのです)

    これだけだと強いキャラクターは作れても運用面ではお粗末である可能性を否定できないし、ルールに詳しくてもDMとして円滑なセッション進行が出来るか否かを説明できていないのではないでしょうか。
    それ故にエンガルフされてしまうのだと思います。

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  2. DJさん

    おっしゃる事はもっともだと思います。

    本文での繰り返し述べていますが、僕はそもそも上級者という分類を定義する意味を感じていません。

    仮に、どうしても定義しなければいけないとしても、DJさんのおっしゃる様な運用がどうのこうのという事は、僕は定義に含めようとは思いません。何故なら運用の善し悪し云々というのはレギュレーションやその集団のプレイスタイルなど色々な条件によって評価基準が変化しますし、そもそも定量的な比較が可能だとは思えないからです。

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